授乳中に突然、電気が止まった。
そんな衝撃的な出来事から、数日後のことだった。
いつものように、子どもを連れてスーパーへ買い物に行った。
カゴいっぱいに食材を詰めてレジへ向かい、お会計のときに1枚のクレジットカードを差し出した。
当時の我が家は、元夫から現金で生活費をもらうシステムではなかった。渡されていたのは、夫名義の「家族カード」。食費も日用品も、日々の支払いはすべてそのカードで済ませるのが当たり前になっていた。
レジの店員さんがカードを通す。
しかし、なぜかエラーになる。
店員さんは申し訳なさそうな顔で、「こちらのカード、現在ご利用いただけないようです……」と言った。
恥ずかしさと、感覚の麻痺
一瞬、頭が真っ白になった。
後ろには、次のお客さんがズラッと並んでいる。
「えっ、なんで?」という焦りと、ものすごい恥ずかしさで顔が熱くなった。
でも、そのときの私は、それ以上深く考えようとしなかった。
「あぁ、また口座にお金を入れ忘れているのかな」
不思議なことに、その程度にしか思わなかった。
実はそれまでにも、カードの引き落としができていなくて止まる、ということが何度かあった。
だから、自分の中でそれは「一大事」ではなく、「またか、よくあること」になってしまっていた。完全に感覚が麻痺していたのだと思う。
「生活できているから大丈夫」と思っていた
カードが使えなくなった本当の理由を、夫に厳しく問い詰めることもしなかった。
「クレジットカードをメインに生活できているんだから、一応は大丈夫なんだろう」
「必要なものは買えているし」
そうやって、自分に言い聞かせて無理やり納得していた。
でも、今振り返ると、あれはもの広く大きな「暮らしの赤信号」だった。
- 家庭の正確な収入がいくらなのか
- 毎月何にいくら使っていて、いくら貯金があるのか
- なぜ頻繁にカードが止まるのか
私は、我が家のお金の流れを何も知らなかった。
厳しく言えば、「自分から知ろうとすること」から逃げて、向き合っていなかったのだと思う。
あの日の恥ずかしさが教えてくれたこと
あの日、スーパーのレジで感じた強烈な恥ずかしさ。
あれは単なるカードのエラーに対する恥ずかしさではなく、「自分の生活の基盤を、他人に100%握られている不安定さ」に対する、本能的な恐怖だったのかもしれない。
当時は、目の前の子育てと生活をまわすのに必死で、小さな違和感をすべてスルーしてしまっていた。
「おかしいな」と思っても、波風を立てたくなくて、見ないフリをして流してしまう。
シングルマザーになって、自分でお金を管理し、将来の数字と向き合うようになった今だからこそ、「あのときは完全に思考停止していたな」と冷静に振り返ることができる。
自分の健康も、これからの生活も、守っていくのは自分しかいない。
だからこそ、あのときの違和感を過去のものとして片付けず、今の自分が自立して生きるための教訓として、ここに書き残しておこうと思う。

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